るるぶ逢坂(雑談)@rurubuosaka

声優の逢坂良太さんがちょー好き!雑文。感情のうんこ。個人の感想です。嘘を嘘だと見抜いて笑える人だけ。

語り合いたい=繋がりたい?

コミュニケーションは得意じゃない

私は相手の顔色をうかがって、本音を隠して当たり障りのない世間話をする事が一番苦手。
スッカスカの上辺だけの愛想笑い。テンプレートのような挨拶。会話はそれっきり。
そんなステップを踏んで、後から本心を知って、幻滅されるぐらいなら最初から殴り合いたい。鋭利な刃物(言葉)で突き刺してこい。
ボッコボコに殴り合って血まみれになって最後はその血を拭って握手したい……のは理想論で、現実はそうはいかない。
だから「この人とは直接関わりたくないけど、言ってる事は気になる |ω・`)チラッ」ぐらいの関係が丁度いい。ネットではそれが出来る。
別に会話を交わさなくてもいい。言葉を交わさなくても、同じ世界に足を踏み入れた同士は仲間。それだけで繋がっている。
いつでも関係が切れるどころか最初から関わる事なく、覗き見だけしている奇妙な関係。傍観者。

私は人と関わるのなら感情の共有よりもその人自身の、その人の中にある感情と私の異なる感情や知識、資料を交換したいという感じ。
でもこれもあまり上手くいかない。
出来るなら互いにwin-winの関係でいたい。
私の、付き合いが長い人に共通する事は『一番好きな物が同じではない』という事。
そういう意味では『同担○す!同担以外としか関わりません!』という価値観の人は、
そういった価値観の人同士だから、すっっっっっごく仲良くなれるのかもしれない。どんな方向性であれ価値観が等しい。
別に私は同担○す人じゃない。わかると思うけど一応。

呟きを敬語でする人は呟きじゃない

私は典型的なネット弁慶だから、話し言葉と書き言葉は違う。
例えばTwitter。呟きなんだから何かを嫌いだとdisっても良いのだけど、
TLに自分の好きも嫌いも、その叫びが放流されてしまうのはよろしくない。
TLは相手に向かってリアルタイムで流れていく。個別に通知がいって飛ぶのではなく、流れ弾。
下手すれば撃つつもりがない人を被弾させてしまう。地雷なんかじゃない、これはミサイル。
特定の個人へ直接向けていない宙に浮いた言葉も、相手は自分へ向けたように感じてしまう。
「この人、こんな事考えてたんだぁ」といったマイナスのイメージは強く残る。
たとえ相手の思い込みでも関係がこじれる。傷つける意思のない無差別攻撃。
全てを@tosツイにするか?というなら、それはもう書き込まなくていい。
どうも現代は「直接言わないけど、ここに書いてあるから察しろ感」が凄い
アホ抜かすな、誰もお前の全てを見ていない。
言いたい事があるなら直接来い。

ネットに言葉を放流すると言う事は、どこかの誰かに見て欲しいと言う事。
誰に?それは自身への賛同者。首を縦に振るイエスマン
「嫌なら見なければいいんです!(翻訳:消えろカス)」
ネットで自分を晒すとどんどん自己顕示欲が強くなる。
賛同者が可視化する。無自覚に承認欲求が強くなる。みんながナルシスト。
多少なりの客観視、自制がないとネットに自分の考えを落とすことは危険が伴うような気もするし、
あんまり制御をかけると、まるで規制をかけたテレビ番組のように画一的で面白みが無くなる。
そのバランスは本当に難しい。

ぼっちの集団

それなりに人と話すことは好きだし、そういう気分じゃない事も多い。
私は完全に閉じている訳じゃない。閉じている人の事も理解出来る。閉じるだけの面倒な思いをしたんだと思う。
とりあえず私も過去、ひっでぇ目に遭ったので、アホの子を演じている人はわかる。
仲間を集め、それを自分の総意のように集団で武装するタイプが多い。
「私がやったんじゃない」と言う隠れ蓑。
アンケート集計で勝利した方が……というシステムは非常に民主主義的で日本的。
集団で他を弾圧する。スポーツやアイドルのグループでどちらが上だの下だのを争うのもそうかも。
人が死なない戦争。
絆だの繋がりだの、綺麗な言葉で着飾って力を誇示する。
現代はそういうタイプが多いような気がしてならない。別に誰も悪くない。社会がそうさせている。
たとえば『ぼっち』なんて、『ぼっちは本当は寂しい』と言うような価値観を集団で共有したいんじゃないのか。
それはもう『ぼっちの集団』。
本当のぼっちは1人を寂しいとか恥ずかしいだなんて感じない、というのは私の価値観。